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魚のスープ / Zuppa di pesce

1950〜60年代、オルベテッロ。トスカーナの別荘で家族と過ごした日々を末娘・イザベラの目を通して描く。

ローマに暮らす映画プロデューサー、アルベルトの家族は再婚(実際には結婚していないのだけれど)同士のために、それぞれの連れ子と二人の間の子供とがいて複雑なのだが、休暇は仲良くトスカーナの別荘で過ごす。一家の収入は映画の成功に左右されるため、裕福であったり、家具を差し押さえられたり、浮き沈みが激しい。イザベラは、父を尊敬するものの素直に父と接することができずにいる。

思春期のイザベラの父への反発と、父への愛。その後イザベラは父と同じ映画に携わる仕事に就く。反発したり、「父親としては失格」などと言っていても、彼女は父を愛しているのだし、映画人として尊敬し認めていたことがわかる。ストーリー運びに冗長な感は否めないが、それものんびりとした休暇の描写と受け取ろう。休暇の終わりに訪れる寂寥感が最後に残るストーリーである。

タイトルの魚のスープは魚介類をトマトと一緒に煮込んだトスカーナの沿岸部地方のごちそう。正式には5種類の魚介類を入れるものだそうで、材料の魚介類を買いに行ったイザベラが、買ってきた魚の種類が少ないと父に叱られるシーンもある。この魚のスープ、複雑なイザベラの家族を象徴するかのようでもある。

別荘には、映画の編集等に使う機器類もあり、イザベラも何度かここで映画を見る。そのうちの「シェルブールの雨傘」では、画面にイタリア語字幕が付いているのが見える。(通常、イタリアでは外国語映画は吹き替えで上映される)


ロケ地 / オルベテッロ

オルベテッロはローマとピサの中間、トスカーナ州沿岸部南端の街

L'Hotel I Presidi Orbetello
La Locanda di Ansidonta


製作 / 1992 イタリア・フランス
監督 / フィオレラ・インファシエリ

キャスト / イザベラ … キアラ・カゼッリ
父(アルベルト) …
フィリップ・ノワレ
母 … マーシャ・メリル

媒体 / VIDEO

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サン☆ロレンツォの夜 / La notte di San Lorenzo

1944年8月、トスカーナ、サン・マルティーノ村。ドイツ軍/ファシストの支配下にある村から、米軍の助けを求めに行く人々のドラマ。チェチリアが6才だった頃に起きたできごとを、自分の子どもに語って聞かせる回想。

44年8月、すでにドイツ軍支配下にあった村、サン・マルティーノでは、いくつかの家が近いうちにドイツ軍により爆破される予定だったため、村人たちは、村の名士の家に避難していた。ある日、ドイツ軍の指示で村人を一ヶ所に集めることになった。その場所以外にいる者は殺されるという。指示に従い、教会に身を寄せるひとびとと、近くまで来ているはずの米軍を探しにいこうとするひとびと、村人は二つのグループに分かれた。ひとびとが村を出た夜、他の家々とともに、爆破されたのは皆の集まる教会だった。

ドイツ軍に従い、村人を教会に集めた神父は自分の行動のために傷ついた人々を見ておろおろするばかり。「無防備都市」のドン・ピエトロ神父の、信念からくる力強さとは対照的である。

米軍を探し当てるまで、お腹を空かして歩きつづけ、飛行機の音に脅え、そして、追跡してきた同胞(ファシスト)と殺し合う。そんな追いつめられた状況であるにもかかわらず、その道のりは子どもであったチェチリアには、ピクニックのような楽しいものと映る。そして、リーダーであった老人には若い頃の思いを、偶然相手に伝えるチャンスが訪れる。戦時下の人々の思いを、それぞれのエピソードを重ねて綴っていく。老人の体験、結婚前の娘の思い、ファシズムに身を投じてきた父親、そして、少女の目に映るもの。

顔も名前も知っている者同士が、主義が違うというだけで敵・見方に別れて殺し合うことになる。戦争が引き起こした愚かな行為。個々の人々に罪はないのかもしれない。でも、考えが主義となり、国家の主張となれば、ときにそれは狂気に近づく。互いに銃を向けることの他に、問題を解決する方法はあるのに、である。

事実は事実である。このような苦い体験をふたたびしないために、事実を反芻しておくことは大事なことと思う。

この作品の題材は、実際にタヴィアーニ監督が体験したこと、他の体験者から取材したことを再構成したもの。ドキュメンタリーではないが、このようなことが、実際にいくつも起こっていたのではないかと思われる。

8月10日の聖人はサン・ロレンツォ。この日の夜、流れ星に願いをかけると、その願いがかなうのだという。

教会の絵画の真似をして、寄り目になるチェチリアがキュート。


ロケ地 / トスカーナ?

舞台となったサン・マルティーノ村は架空の村。タヴィアーニ兄弟の故郷、サン・ミニアートをモデルとしている。

実際のロケ地は不明だが、トスカーナ地方ではないかと思われる。


製作 / 1982 イタリア
監督 /
パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ
キャスト / ガルヴァーノ … オメロ・アントヌッティ
チェチリア … ミコル・グイデッリ
コンチェッタ … マルガリータ・ロサーノ
コッラード … クラウディオ・ビガーリ

媒体 / VIDEO,LD,DVD
    タヴィアーニ兄弟傑作選 DVD-BOX (DVD) にも収録されている。

サン★ロレンツォの夜

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自転車泥棒 / Ladri di biciclette

1940年代、ローマ。大戦後の、失業にあえぐ労働者たちの日常を浮き彫りにした作品。生活のため、仕事を確保するために、自転車を盗んでしまう男。俳優は一部を除いて、本当の当時のローマの労働者たち。つまり、素人である。それがこの作品をよりリアルなものにしている。

職安に通いつめるアントニオが2年ぶりに得た仕事は、街頭のポスター張り。だが、仕事に必要な自転車を持っていることが条件である。あわてて、質入れしてあった自転車を請け出してくるのだが、運悪く仕事の初日にその自転車を盗まれてしまう。盗まれた自転車を探して奔走するが、そう簡単には見つからず、最後に彼はつい、他人の自転車に手を伸ばしてしまう。

戦争は終わり、平和が訪れたといっても、それで問題がなくなったわけではない。定職に就けずに不安定な日々を過ごす人々が、やっとありついた仕事に執着する気持ちは、想像以上に強いものなのだろう。

またアントニオの子供、ブルーノが健気。なんとか、父親の役に立とうと、自転車の手入れをしたり、盗まれた自転車の部品を探したり背伸びをする。が、リストランテで隣のテーブルの子供に張り合ってみたりするところは、まだまだ子どもらしさが残っていてかわいい。

ピッツァでも食べようと入った店で、「うちはリストランテだから、ピッツァはおいてない」と言われる場面がある。ピッツァは軽食であり、ピッツェリアで食べるもの。フルコースをオーダーするようなリストランテにはピッツァはおいてないものなのだ。


ロケ地 / ローマ

盗まれた自転車を探しに日曜日のメルカートへ出かけていく。二つ目のメルカートはポルタ・ポルテーゼの蚤の市。通称”泥棒市”といわれ、盗品が売られていることも多いというところである。


製作 / 1948 イタリア
監督 /
ヴィットリオ・デ・シーカ
キャスト / アントニオ … ランベルト・マッジョラーニ
ブルーノ … エンツォ・スタヨーラ

媒体 / VIDEO,LD,通常版DVD、廉価版DVD
    世界名作シネマ全集 20

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シャンドライの恋 / Besieged

1990年代、ローマ。イギリス人ピアニストのキンスキーと彼の屋敷で住み込みで働くシャンドライとの恋。

キンスキーの屋敷で働くシャンドライはある日彼から愛していると告白される。だが、シャンドライには服役中の夫がいた。シャンドライの愛を得るためならなんでもするというキンスキーに、シャンドライは夫を刑務所から出してほしいと言ってしまう。

少しずつ屋敷の中から消えていく調度品、故国の切手が貼られた封筒、そして夫から届いた手紙。シャンドライは自分のためにキンスキーが何をしているのかに気づく。

ストーリーのほとんどは、スペイン階段のそばにあるキンスキーの屋敷の中で進行する。明るい階上の部屋でキンスキーはモーツァルトやバッハを奏でる。日の入らない階下にあるシャンドライの部屋でラジカセから流れるのはアフリカン・ポップス。二人のそれぞれの世界を隔てるのは螺旋階段。「幸福の王子」のように、身の回りのものを削り取りながら女への愛を示そうとする男。こんな愛しかたをされた女は、どうやってその気持ちに応えたらいいのだろう。男の胸に飛び込めば、彼のしてきたことの意味がなくなる。夫の元へ戻れば、男に背を向けることになる。

二人を隔てていた螺旋階段は、やがて二人をつなぐものへと変化する。少ないセリフを補完するような映像の美も楽しみたい。

医学生であるシャンドライの試験のシーンがある。ペーパーテストが主流の日本とは違い、試験官の質問に口頭で答えるという方法が、イタリアでは主流らしい。


ロケ地 / ローマ、ケニア

スパーニャ駅、スペイン階段

撮影に使用された螺旋階段がある屋敷は、地下鉄スパーニャ駅のスペイン階段側出口を出てすぐ左手。屋敷の裏側は、スペイン階段に面している。

撮影当時、この屋敷は廃屋であったが、現在は高級ホテルハスラーのオーナーが所有者である。将来はオープンテラスのレストランにする計画があるとか。


製作 / 1999 イタリア [英語・イタリア語作品]
監督 /
ベルナルド・ベルトルッチ

キャスト / シャンドライ … サンディ・ニュートン
キンスキー … デヴィッド・シューリス

原作 / ジェイムズ・ラスダン 『シャンドライの恋』 角川文庫 ISBN:4042846017 岡山 徹【訳】
媒体 / VIDEO,DVD

Gallery
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終着駅 / Stazione Termini

1950年代、ローマ。旅行中の恋の相手、ジョヴァンニと別れて、家に戻ろうとするメアリー。メアリーの乗る列車が出発するまでの、テルミニ駅での2時間。実際の時間と、物語の時間とがほぼ一致するという手法の作品である。

メアリーはローマ滞在中に、ジョヴァンニというアメリカ系イタリア人の男性と恋に落ちた。しかし、メアリーには、アメリカに夫も娘もいる。ジョヴァンニとの恋を振り切ろうと、別れも告げず、一刻も早くローマを離れようとするメアリー。しかし、追ってきたジョヴァンニときっぱり別れることができず、メアリーは次の列車に乗ることにする。

描かれているのは、二人の別れ際の数時間。しかも駅構内だけという限られた状況にもかかわらず、観ている私たちには、二人がここへくるまで、どのような関係だったのかが伝わってくる。好きだからという気持ちだけでは結ばれない、事情のある恋であったのだろうと。

またカメラは、駅を通過する人々もとらえている。自分の具合が悪くなろうとも、お金は生まれてくる子どものためにと微笑む妊婦、グループで行動する神父たち、先生に引率される聾唖学校の生徒たち。ドラマは男と女だけのものではないのである。

このメアリー、なんとも引き際が美しくない。別れを切り出したかと思えば、彼の求めに応じ、ついていくのかと思えば、子供服の飾られたショーケースを見て、ぼんやりとする。夫も娘も大切だし、目の前のあなたとも離れたくない、と。潔くないのである。

作品としては注目すべき要素をいくつも内包しているのだが、主旋律となる男女のドラマの後味が良くない。いや、ドラマだからこの程度で済むのかもしれないが。


ロケ地 / ローマ

全編に渡り、ローマの玄関口、テルミニ駅構内だけで物語が進行する。


製作 / 1953 イタリア・アメリカ [英語作品]
      … 英語のセリフは「ティファニーで朝食を」のトルーマン・カポーティによるもの
監督 /
ヴィットリオ・デ・シーカ

キャスト / メアリー(マリア) … ジェニファー・ジョーンズ
ジョヴァンニ … モンゴメリー・クリフト

媒体 / VIDEO,LD,DVDCD-ROM(映画で英会話)

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ジュリオの当惑(とまどい) / La messa e finita

1980年代、ローマ。教区変えで小さな島からローマ郊外の街に赴任してきた司祭ジュリオ。住人の正しくない行いを正すべく奮戦する。

理想に燃えるジュリオが赴任後に新しい教区で直面する問題。前任者が妻帯していたり、かつての友人が留置所に入れられていたり、ジュリオには頭の痛いことばかり。周囲が彼に頼る時には決まって「だって、おまえは司祭じゃないか」。司祭として、果たすべきことを全うしようとするジュリオは、彼の家族自身も「司祭の家族にあるまじき」問題を抱えていることを知る。父親は妹の親友と同棲を始め、妹は婚約者の子供を身ごもるが生むつもりはないという。そして、母の行動で、彼の中の張りつめていたものが切れる。ジュリオが戸惑うことをやめたとき、皮肉にも彼の求めていたものが、目の前にもあったことに気づく。

頑なに真面目なジュリオを襲う不幸な出来事の連続は、出口の見えない不況下の不安にも似ている。あるべき姿を追い求めるばかりではなく、立ち止まって辺りを見回す余裕がほしい。その余裕が結果的に近道となるのかもしれない。

ミサが終わり、振り返ったジュリオの目に写る光景。ラストシーンと「リトルネライ」のメロディが印象的。


ロケ地 / ローマ

  • ”Nuovo Sacher (モレッティの映画館)”の裏にある野外映画劇場 …ゲイの友人・ジャンニとともに、殺されそうになるシーン

製作 / 1985 イタリア
監督 /
ナンニ・モレッティ

キャスト / ジュリオ神父 … ナンニ・モレッティ
父 … フェルッチョ・クレソッティ
母 … マルガリータ・ロザーノ
妹 … エンリカ・マリア・モドゥニョ
媒体 / VIDEO,DVD

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