イタリア映画のひとびと > A・B・C
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◇ Anita Ekberg アニタ・エクバーグ | (1931/9/29 〜 ) マルモ、 スウェーデン 生まれ |
出演作
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印象的な「甘い生活」の出演により”イタリア映画の顔”となった女優。出身はスウェーデンで、1950年にはミス・スウェーデンに選ばれた経歴も持つ。「戦争と平和」の撮影でチネチッタを訪れた際にフェリーニの目に止まったのが「甘い生活」出演のきっかけとなった。それ以前は、ハリウッドで主に活動していたが、その頃の出演作はB級のものばかり。「甘い生活」が彼女の活動の場所・出演作の傾向に変化を与えることとなった。
けして上手な役者とは言えないが、天真爛漫な華やかさを持つエクバーグ。大柄な女性が好みであったというフェリーニにとって、彼女はまさに”ディーヴァ”だったのであろう。 アニタ・エクバーグという名前以外に、作品によっては Anita Kersten という名前でクレジットされていることもある。
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◇ Anna Magnani アンナ・マニャーニ | (1908 〜 1973) ローマ、 イタリア 生まれ |
主な出演作![]() |
戦後のイタリアを代表する女優のひとり。戦前は演劇やレビューで活躍していた。気性の激しい役柄を多く演じているが、それは彼女の性格そのままだったともいわれる。 「無防備都市」にまつわるロッセリーニとイングリッド・バーグマンのエピソードは有名だが、その当時ロッセリーニの愛人だったマニャーニは、二人の仲に怒ってロッセリーニにスパゲッティを浴びせたという話も残っている。 「フェリーニのローマ」でインタビューを求められ、「フェデリコ、よしてよ。」というのが彼女の最後のセリフである。 |
◇ Audrey Hepburn オードリー・ヘプバーン | (1929 〜 1993) ブリュッセル、 ベルギー 生まれ | ||
主な出演作
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日本でも人気が高く、「妖精」と形容された女優。 それまでの映画に見られる”美人女優”にも、当時人気のあった”グラマーな女優”にもあてはまらない彼女の魅力に目に止めたウィリアム・ワイルダー監督により「ローマの休日」のヒロイン役に抜擢される。この映画で一躍世界的に注目を浴び,アカデミー賞主演女優賞を獲得した。 以後数々の映画に出演、人気は不動のものとなったが、晩年はユニセフの特別親善大使となり,世界の恵まれない子どもたちのために尽力した。 → Official site |
◆ Bernardo Bertolucci ベルナルド・ベルトルッチ | (1941/3/16 〜 ) パルマ、 イタリア 生まれ |
作品
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かつては、同時期の若手監督ベロッキオとともに”アンファン・テリブル(恐るべき子供)”と呼ばれた。 パゾリーニと親交があり、パゾリーニが撮る予定だった「殺し」で監督としてデビュー。 スケールの大きな作品が多く、またイタリア以外の地が舞台の作品、英語の作品が多いため、”イタリア色”の薄いイタリア人監督である。 アドリアーナ・アスティ、クレア・ペプローと結婚していたこともある。
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◇ Bjorn Andresen ビョルン・アンドレセン | (1955 〜 ) ストックホルム、スウェーデン 生まれ |
主な出演作![]()
ドキュメンタリービデオ
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ヴィスコンティの名作「ベニスに死す」で美少年タジオを演じる。 この映画を製作するにあたってヴィスコンティは彼のイメージどおりのタジオ役が見つからなければ、製作を断念しようとしていたという。オーディションの様子などはドキュメンタリー「タッジオを求めて」で見ることができる。 一時俳優業から遠ざかるが、その後本国の映画やTVに出演している。 → Fan page |
◇ Charlotte Rampling シャーロット・ランプリング | (1946 〜 ) スターマー(ケンブリッジ近郊)、イギリス 生まれ |
主な出演作 | ハーロー工業大学時代からモデルとして![]() |
◇ Claudia Cardinale クラウディア・カルディナーレ | (1938/4/15〜)チュニス、チュニジア生まれ |
出演作
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デビューのきっかけは1957年、チュニスでの美人コンテスト。賞品としてプレゼントされたヴェネツィア旅行で、映画出演のオファーがあったのだそう。 子猫を思わせるようなキュートなルックス、グラマーなスタイルではあったが、声がハスキーだったため、初期の作品(「ブーベの恋人」以前)はほとんど吹替えられていたという。 文学を映画化した作品に続けて起用され、また、フランス語・英語にも堪能だったため、国外の作品にも出演作が多い。 同時期に活躍したマリリン・モンローがMM、ブリジット・バルドーがBBと呼ばれたように、カルディナーレはCCの愛称で親しまれた。 デビュー直後の59年には出産しているが、契約で制限されていた項目に該当していたため、年の離れた弟であると公表していた。後年そのことがスキャンダルとなった。
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