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山猫 / Il gattopardo

1860年、シチリア。イタリア統一前後に揺れる貴族の心情とシチリア支配層の新旧交代を描いた一大叙事詩。

1860年、シチリアにガリバルディの赤シャツ隊が上陸した。情勢はイタリア統一へ向けて刻々と変化し、貴族社会はその終焉を迎えようとしていた。既存の権力に依存していた貴族の一人であるサリーナ公爵も、ついには統一国家の国王に一票を投じることになる。また、甥のタンクレディは公爵の娘よりもブルジョアな平民の美しい娘、アンジェリカとの結婚を望む。

イタリア統一という国家が揺れる時代のシチリアを描いており、 社会情勢の推移、公爵自身の心情の変化が、古い時代を象徴するサリーナ公爵と、新しい時代を象徴する若いふたり--タンクレディ、アンジェリカ--との対比によって丁寧に描かれている。 ランカスターは、強さと威厳を感じさせる体格も、髭をたくわえた風貌もまさに山猫。対して、カルディナーレ演じるアンジェリカは、しなやかで小悪魔的、まるで子猫のよう。

時代が移りゆく時期にあって古い時代に属する者は、けして心穏やかではないはず。さらに、社会の変化だけではなく、自身の"老い"からくる不安も重なってくるのだ。 外からと内からと。そして、時代と世代の交代に身を任せることを選んだ寂しさをランカスターが好演。

有名な大舞踏会のシークエンス。タンクレディとアンジェリカが部屋を移動しながら踊るシーンは圧巻。ふたりの艶やかさ、豪華 な館、絢爛な貴族たち。

また、古い館でのタンクレディとアンジェリカのシーンは、隠れたり追いかけたりしているだけだというのに、なんとも官能的だ。大舞踏会に比べると地味であるが、ヴィスコンティがこだわったというアンジェリカのレンゲ色のドレスが際立ち、まるでモノクロームの中アンジェリカにだけ色がついたような印象を残す。

ストーリーに起伏はないものの、大舞踏会のシーンだけでも観るに値するといえるほど、華麗な映像に圧倒される作品である。

原作は貴族であるジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの小説。監督であるヴィスコンティもまたデ・モドローネ公爵であり、貴族の館でのロケ、エキストラの1/3が本物の貴族だという大舞踏会のシーン、と貴族による貴族の映画。(初期のキャスティング案では、サリーナ公爵役にローレンス・オリヴィエを予定していたという。実現していればナイトの称号を持つ俳優が演じることになったわけだ。)

原作8章のうち6章までをヴィスコンティが映画化。残る2章について続編の製作が期待されていたが、実現してはいない。


ロケ地 / チミンナ、パレルモ、アリッチャ(Lazio)

パレルモ

  • Villa Boscogrande … 公爵の屋敷
  • Palazzo Ganci … 大舞踏会のシーン

アリッチャ(Lazio)


製作 / 1963 イタリア・フランス
監督 / ルキノ・ヴィスコンティ

キャスト / サリーナ公爵 … バート・ランカスター
タンクレディ … アラン・ドロン

アンジェリカ … クラウディア・カルディナーレ
 

媒体 / VIDEO、DVD
原作 / ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ 『山猫』 河出書房新社  佐藤 朔【訳】
関連書籍 / L. ヴィスコンティ 『山猫  ヴィスコンティ秀作集』新書館 溝口廸夫 【訳】

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夜ごとの夢 〜 イタリア幻想譚 / La domenica specialmente

1980年代?、ローマ郊外。3話からなるオムニバス。普通に暮らす人々の生活に紛れ込んだ、”普通ではないもの”との関わりから発展する話。

1.「青い犬」。 床屋兼靴の修理屋を営むアムレートになつく、野良犬の額には青いシミ。不自然な色のシミだ。しつこくつきまとう犬に嫌気が差していたが、ある日いつも犬のいる広場で銃声がした。広場に残る血の跡。アムレートは犬が気になって、探し始める。

2.「特別な日曜日」。 所用で訪れた郊外の街でヴィットリオが出会った女性と青年。カップルというわけではなく、女性は知的障害らしい青年の週末の世話を任されているとのこと。この女性、セクシーな上になにかと、彼を誘惑してくるのだが、その気になるたび、必ず青年が現れる。意識的なのか、偶然なのか。

3.「炎の中の雪」。 息子夫婦と同居する老婦人カテリーナの告解の内容は、息子夫婦の夜の生活を覗き見するのが癖になってしまったこと。ところが、嫁の方はこれに気がついていて・・・・。

ちょっとしたお遊びはあるが、特にそれぞれの話のつながりはない。共通するのは、日常に存在する小さな不条理。イタリア臭さはないが、短編集としては秀作といえるだろう。


ロケ地 / ローマ近郊、マレッキアの谷?


製作 / 1991 イタリア・フランス・ベルギー
監督 / 1−
ジュゼッペ・トルナトーレ、2−ジュゼッペ・ベルトルッチ、 3−マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
音楽 /
エンニオ・モリコーネ
キャスト / (1)アムレート … フィリップ・ノワレ
(2)アンナ … オルネラ・ムーティ
(2)ヴィットリオ … ブルーノ・ガンツ
(3)カテリーナ … マリア・マッダレーナ・フェリーニ
プロローグ・エピローグ … ジャン・ユーグ・アングラード

媒体 / VIDEO
サントラ / 
La Domenica Specialmente

La Domenica Specialmente

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かぼちゃ大王 / Il grande cocomero (ビデオタイトル「私が愛した少女」)

1991年、ローマ。癲癇と診断された13歳の少女ピッピと、彼女を治療する誠実な精神科医・アルトゥーロとの交流を描いた作品。公開時のタイトルはスヌーピーのマンガ、「ピーナッツ」から取ったもの。

神経科のベッドに空きがなかったという理由で、精神科の病棟にまわされたピッピ。ピッピは癲癇と診断されていたが、アルトゥーロは彼女の病気が心因性のものであると判断し、彼女の両親も含めてカウンセリングによる治療を始める。ピッピはアルトゥーロに少しずつ心を開くと同時に、重症患者のマリネラの治療に協力することで、症状が改善しつつあった。やがてピッピとアルトゥーロはお互いに、医師と患者の関係以上の感情を持つようになっていく。

ひとりの医師がひとりの患者に対して、このような親身な態度で治療を行うというのは現実味がないかもしれない。どうみても、ピッピだけ特別扱いしている。しかし、それでもなお、こんな医師がいてくれたらと思わずにはいられないほど、アルトゥーロの態度は、真剣で誠実だ。

それは、互いの思いやりの無さから離婚に至り、シングル・マザーとなったかつての妻への彼なりの贖罪だったのかもしれない。

アルトゥーロとは対照的なのがピッピの両親。娘の病気の原因の一端が自分たちにあることを認めたくない気持ちは理解できる。だがそれ故に娘の状態が良くならないのも事実なのだ。親が子どもを追いつめていることに、薄々気づきながらも解決する方法をしらない親の姿は哀れである。

ストーリーを通して語られているのはもちろん、アルトゥーロとピッピの関係であるのだが、それによって浮き彫りにされるのは、心に病を持つ者に対する無理解なのではないだろうか。

重いテーマではあるが、固く心を閉ざしたピッピが、徐々に心を開いていくのには、心温まる思いがする。

お金に困って出勤日を増やした看護婦のアイーダ。雨の中バスを待っているときに、持っていた洗剤の箱が壊れ、中身を路上にぶちまけてしまう。彼女のやるせない脱力感が伝わってくる。その光景を見てしまったアルトゥーロは後日さりげなく彼女をいたわる。そんな丁寧な人物描写が随所に見られる。

ところで、イタリアの洗剤は今でもあんなに大きな箱で販売されているのだろうか?


ロケ地 / ローマ

  • コンドッティ通り、Max&Co. … アルトゥーロとピッピが洋服を買いに行くシーン。
    Max&Co. は、ご存知 Max Mara の若者向けのライン。ちなみに作品中のアンナ・ガリエナのファッションは Max Mara によるもの。ファッションでも親子を演出?

製作 / 1993 イタリア・フランス
監督 /
フランチェスカ・アルキブジ

キャスト / アルトゥーロ … セルジオ・カステリット
ピッピ(ヴァレンティーナ) … アレッシア・フガルディ
チンチア(ピッピの母) … アンナ・ガリエナ
アイーダ(精神科病棟の世話係) … ラウラ・ベッティ
マリネラ … ララ・プランツォーニ

媒体 / VIDEO

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