CinemaItalia

INDEX > 作品紹介 い-お

家の鍵 / Le chiavi di casa

2000年代、ドイツ、ノルウェー。事情があって離れて暮らしていた息子・パオロと、同居することになったジャンニ。ベルリンの病院へ向かう二人の交流を描く。

ジャンニは、息子のパオロと離れて暮らしていた。障害のあるパオロは叔父夫婦と暮らしていたが、リハビリテーションのためベルリンの病院へ行くことになった。そして、これを機会にジャンニはパオロと暮らすことになる。ドイツでの治療にあたって、初めて息子・パオロと向き合うジャンニ。親として、障害者を支える家族として、戸惑いを隠せないジャンニは、同じような境遇のニコルと出会う。

血の繋がった親子とはいえ、15年も離れていた2人はお互い初対面同然で。しかも親である自分の事情で子どもと離れていたとなれば、再会の気まずさ、居心地の悪さは、身から出た錆とはいうものの、避けようのないものだろう。

そのうえ、普通であれば初めての子どもが生まれたときに、親の方も”親として1年生”であるわけで、子どもの成長とともに、親も2年生、3年生と経験を重ね、親として成長していくわけである。ところが、ジャンニは妻との間に幼子がいるとはいえ、パオロとは年齢が違い過ぎる。つまり、ジャンニはパオロに対するとき、親としての経験が圧倒的に不足しているのである。一方、パオロには親代わりの叔父夫婦と暮らすことで、親との接し方も、健常者との暮らし方も、年相応の経験がある。

パオロとジャンニとの間には、離れていた時間と距離以外にもギャップが存在しているのである。そして追いついていないのは、父であり、健常者であるジャンニの方だ。

パオロが障害者であることに目を奪われて、「障害者」と「健常者」という図式にストーリーが集約していく錯覚を覚えるけれど、2人の間にある、いくつかの埋めなければならない溝の中で、一番必要だったものは、ジャンニの親としての経験だったのではないだろうか。

数日間行動を共にするという密度の濃い時間の中で、ジャンニがどれほど親として成長し、パオロに追いつくかが、この作品の隠されたテーマなのではないだろうかと思うのだが、ラストシーンを見る限り、ジャンニは目標に達するには、もう少し時間が必要そうである。

年上であったり、障害がなかったりすることによる優位性は、普遍的なものではない。そのことを認識していることが大切なのは、なにもジャンニとパオロの親子に限ったことではない。

ニコルを演じるシャーロット・ランプリングは圧倒的な存在感。彼女が語ることばは、健常者同士の親子にも当てはまるけれど、子どもが障害者となるとさらに重みが増す。そしてそれは真実なのだということが、想像に難くない。だからこそ重みを感じるのではないかと思う。

 

 

本文中の画像は掲載の許可を受けております。転載はご遠慮ください。


ロケ地 / ドイツ、ノルウェー


製作 / 2004 イタリア ・フランス・ドイツ
監督 / ジャンニ・アメリオ
キャスト / ジャンニ … キム・ロッシ・スチュアート
パオロ … アンドレア・ロッシ
ニコル … シャーロット・ランプリング

原作 / ジュゼッペ ・ポンティッジャ
     『家の鍵 明日、生まれ変わる』  集英社
     今村 明美 【訳】
     『Nati Due Volte』(イタリア語版)
媒体 / DVD
サウンドトラック / The Keys to the House(アメリカ盤)

Official site

 家の鍵

<Back ▲Top

イタリア式離婚狂想曲 / Divorzio all'italiana

1950年代?、シチリア。離婚が認められない当時のイタリアで、妻と別れ、若く美しい従妹と結婚しようと企む男を描いたコメディ。

シチリアの貴族、フェルディナンドは結婚して12年になる妻・ロザリアに飽き飽きしていた。その一方、若く美しい従妹・アンジェラに夢中で、アンジェラも彼のことを思っているようだった。ところが、カトリック教国のイタリアでは離婚が認められていない。なんとかアンジェラと一緒になる方法はないかと考え、ある法律を思い出す。それは、配偶者、娘、姉、妹の不貞が理由で、相手を殺害した場合、3年から7年の禁固刑で済むというものだ。「数年我慢すればいい」そう思ったフェルディナンドは、計画を実行に移す。果たして、計画はうまくいくのだろうか。

冷静に考えれば、フェルディナンドの計画を助けた法律は、なんとも男性偏重で封建的なもの。作品中でも同じような”名誉の殺人”を犯した女性は懲役8年を言い渡されている。だが、そんな不公平感を差し引いても、最後の最後まで苦笑いの絶えないストーリー。フェルディナンドが殺害の実行を思い浮かべるシーン、計画の実行のためこまごまと準備するシーン、父親と交代でアンジェラの部屋を覗く様子や、噂話がすぐに広がっていく様子と、誉められた行動ではないが人間味溢れる描写だ。

狡猾ながらも少々情けないフェルディナンドをマストロヤンニが好演。アンジェラを演じるサンドレッリも小悪魔的なところを見せて魅力的。

イタリアで離婚法が成立したのは1970年。それでも、実際に離婚するにはいくつもの手続きが必要だ。また、カトリックでは離婚というものが認められないため離婚ではなく「結婚手続きが無効だった」という処理をするのだとも聞く。なんでも、その結婚無効証明の発行がヴァチカンの主要業務のひとつになっているらしい。

作品中、人気の映画がシチリアでも上映されると家族で見に行くシーンがある。その映画はマストロヤンニの出世作「甘い生活」。この辺は、ジェルミのお遊びか。


ロケ地 / シチリア


製作 / 1961 イタリア
監督 /
ピエトロ・ジェルミ

キャスト / フェルディナンド(フェフェ) … マルチェロ・マストロヤンニ
ロザリア … ダニエラ・ロッカ
アンジェラ … ステファニア・サンドレッリ

媒体 / VIDEO,LD

<Back ▲Top

イタリア旅行 / Viaggio in Italia

1950年代、ナポリ、カプリ島、ポンペイ。倦怠期を向かえた夫婦がイタリア旅行を通して、お互いの存在の大切さを再認識する。

キャサリンとアレックスは、結婚8年目、別荘を処分する目的で訪れたイタリア旅行が、新婚旅行以来の二人きりの旅行であった。旅行を続けるうちに二人の心はすれ違い、ついに離婚ということばがアレックスの口から出てしまう。

お互いに相手のことが気にかかるのに、その気持ちを素直に表現するほど若くはなくなってしまった。妻は夫がパーティーで知り合った美しい女性に惹かれているのではないかと気になり、また夫は妻がかつて妻のことを愛していた男の想い出の場所へ出かけていくのが気にくわない。小さなすれ違いから、日々別の行動をとるようになり、二人のすれ違いはさらに大きなものとなっていく。その二人を変えるきっかけは、ポンペイの遺跡の中で抱き合ったまま発見された男女。日常の、どんな夫婦にもありがちなできごとを描きながら、ストーリーは進む。ひとつひとつの小さな歪みが、積み重なると大きな歪みとなること、知っていながら、普段は気づかずにいること。

ラスト、お互いの存在の大切さに気づくシーンは、それまでの物語の積み重ねからすると、あっけない気がする。バーグマンの横顔の美しさだけでも見る価値は十分あるのだけれど。

キャサリンがスパゲッティを食べるシーン、彼女はフォークにスパゲッティをひっかけるだけで、巻かずに口元へ運ぶ。当時でも、スパゲッティはそれほどポピュラーな料理ではなかったのだろうか?外国人であることを強調するための演出か?

ゴダールはこの映画を観て、「男と女とクルマが1台あれば映画は撮れることがわかった」と言い、「勝手にしやがれ」を撮ったのだという話もある。


ロケ地 / ナポリ、カプリ島、ポンペイ

  • エクセルシオールホテル … ふたりが滞在するホテル
  • ラ・ベルサリエーラ … 食事をするレストラン
  • 国立考古学博物館、クーマの遺跡・シビッラの洞窟、ヴェスビオ火山、フォンタネッレのカタコンベ … キャサリンが観光で訪れる場所。国立考古学博物館では「ファルネーゼの牡牛」をはじめとする彫刻を鑑賞する。
  • カプリ島 … アレックスが訪れる島
  • ポンペイ … 遺跡を見学する

製作 / 1953 イタリア・フランス [英語作品]
監督 /
ロベルト・ロッセリーニ
キャスト / キャサリン… イングリット・バーグマン
アレックス … ジョージ・サンダース

媒体 / VIDEO,DVD

cover

<Back ▲Top

いつか来た道 / Cosi ridevano

1958−64年、トリノ。シチリアからトリノへ出てきた兄弟の絆。兄弟の変化と高度経済成長期を迎えたイタリア社会の変化を、それぞれの年の1日を切り取ることで描く。

[到着]1958/1/20。トリノで学生生活を送るピエトロをシチリアから兄・ジョヴァンニが訪ねてくる。学校へ行かせてもらっていることは感謝しているピエトロだが、無学な兄を恥じてもいた。
[嘘]1959/2/7。ピエトロを学校に行かせる為には、どんな仕事も厭わないジョヴァンニ。その兄の強い愛情を重荷に思うピエトロ。
[金]1960/10/10。ピエトロに何不自由ない生活をさせるために働くジョヴァンニ。ピエトロはそんな兄に何かをしてやりたいと思うのだが、空回りしてしまう。
[手紙]1961/4/7。ピエトロがジョヴァンニの前から消えた。ジョヴァンニはピエトロを待ち続ける。
[血]1962/6/29。ピエトロが教師の試験に合格する。ジョヴァンニと喜び合うのもつかの間、ある事件が起こる。
[家族]1964/7/5。北部の女性と結婚し、幸せに暮らすジョヴァンニは復活祭にピエトロを招く。だが、ピエトロは虚ろな表情をしていた。

6年のそれぞれの年の1日を切り取り、兄弟と時代の変化を見せるという手法がおもしろい。各々のストーリーは連続しているわけではないのだが、違和感は感じない。むしろ過剰な説明を排除したことで、描かれない部分への想像が膨らむ。

ストーリーを通して描かれるのは、兄弟の強い絆。強さゆえに生じてしまうひずみ。そして、そのひずみこそが、シチリアの”血”そして”家族”の証であるということ。

兄弟は互いを思っているのにもかかわらず、その愛情の表現が不器用で相手に重荷と感じさせてしまったり、また、求めてもいないものを与えようと躍起になったりする。受け取る側もまた不器用で、お互いの気持ちがかみ合わず、空回りする。はがゆいほどに。そして、血のつながりが、何においても優先されるものとなってしまったとき、兄・ジョヴァンニの思惑は、ピエトロを押しつぶすことになる。最後のピエトロの虚ろな表情は何にもましてずっしりとくる。そしてその表情を見ていると、兄が与えつづけてきたものは愛情などではない、兄は弟を利用していたのではないかと思ってしまう。学校へ通わせたのも、不自由ない生活をさせたのも「先行投資」ではなかったのかと。彼らの人生を狂わせたものは運命のいたずらなのかもしれない。だが、その引き金となったものはジョヴァンニの”思惑”だったのではないだろうか。(監督のことばによればそうではないらしいのだが)

原題のCosi Ridevanoとは「私たちの笑い方」といったような意味。「La Domenica del Corriere」という雑誌の昔のジョークを投稿するコーナーのタイトルだそうだ。現代の視点から過去を描くこの作品に監督はこのことばを選んだ。

雨に滲むトリノの街が美しい。舞台となったトリノは、イタリア有数の自動車メーカー、フィアット社のお膝元。南部から来た男にピエトロは「フィアットで働いているのか?」と聞かれるが、おそらく、この男にとってトリノ=フィアットというぐらい強いイメージを持っていたのだろう。

対して、兄弟の出身地であるシチリアをはじめとする南部の都市は、貧しい都市も多く、南北格差は今もってイタリア現代社会の抱える重要な問題のひとつである。イタリアはどこも郷土意識が強いものだが、おそらく半島と島という違いからシチリアのそれはさらに強いものではないかと想像させる。

[到着]の章と[家族]の章で繰り返されるなぞなぞ。正確なところはわからないが、「分不相応なものを求めても、実現は難しい。たとえ、それを手に入れることができたとしても、どこかに無理がかかり、すぐに破綻してしまうだろう」という暗喩に聞こえてしまう。まるで兄弟の現状を見透かしたような。さて、この問いの本当の答えは何なのだろうか?

→ 主人に聞いてみました。「2人乗りのクーペに象を4頭乗せるには?」でしたね。以下に我々の会話。
私:Conosci te questo indovinello?(このなぞなぞ知ってる?)
Come possono salire su una Coupe' tre elefanti?(どうしたらクーペに象が3頭乗れるか?(すでに質問を間違えてる私))
夫:No quattro quattro elefanti. (違うよ、4頭。象が4頭だろ。)
Quello che conosco io era 4 elefanti su una Cinquecento.(僕が知ってるのは、チンクエチェントに象が4頭だった。)
私:Ah e la risposta?(へえ、じゃあ答えは?)
夫:Due davanti e due dietro.(前に2頭、後ろに2頭さ。)
私:??(??)
夫:Come possono fare altrimenti?(他にどうしようがあるのさ。)
私:Ma sono gli elefanti...(でも、象なのよ・・。).
夫:Ma daai questa e una battuta! (だからこれはジョークなんだよ〜。)
雰囲気、伝わりましたでしょうか。何かオチがあるに違いないと、一生懸命考えるのを茶化したジョークでした。2人乗りのクーペと4人乗りのチンクエチェントの違いはありますが、小さな車と言う事に変りはないので、地域ヴァージョンがありながらも、全国的に普及したジョークなのではないでしょうか。やっぱり、「昔はこんな他愛も無いジョークに笑っていたねえ」ということじゃないでしょうか。イタリア人が聞けば、誰もが(若者を除いて)「ああ、そうだったねえ」と肯くような。(情報提供 : Stellinaさん)

クロスワードの答えとしてアリダ・ヴァッリの名前が出てくる。「第三の男」「夏の嵐」などで知られるイタリアの名女優のひとりである。


ロケ地 / トリノ、クネオ

トリノ

  • ポルタ・ヌオーヴァ駅
  • ローマ通り … 柱廊式アーケードがあるトリノのメインストリート
  • サン・カルロ広場
  • モーレ・アントネッリアーナの塔 … 「あれがミラノのドゥオーモだ」と見上げる建物。数年前に映画博物館となり、一般公開されている。

クネオ … トリノから列車で2時間ほどの緑の農業地帯に囲まれた都市。[家族]の章の撮影に使用したのではないかと思われる。


製作 / 1998 イタリア
監督 / ジャンニ・アメリオ

キャスト / ジョヴァンニ … エンリコ・ロ・ヴェルソ
ピエトロ … フランチェスコ・ジュフリッダ

媒体 / VIDEO

Official site

<Back ▲Top

イノセント / L'Innocente

20世紀初め、ローマ。愛人に夢中で妻を顧みなかったトゥリオの、妻の不倫をきっかけとする苦悩。

貴族のトゥリオは、愛人テレーザに夢中で、従順な妻、ジュリアーナのことなど相手にしないばかりか、浮気を容認してくれるように説き伏せる始末。ところが、妻の不倫に気づき、彼女が別の男の子どもを産んだことで苦悩する。

不倫に気づいてから再燃する妻への愛。それは、おだやかなものではなく、優しいものでもない。嫉妬心から生み出される激しい、その愛は、独占欲の現われである。愛情と独占欲は、時として、同じ顔をして、その姿を現わす。だが、それは似ても似つかないものだと当人は気づかない。「愛」のためと信じてとった行動が、妻の心を深く傷つけていたことを。そして、すべてを失うことになるのだと。

ヴィスコンティの遺作となったこの作品は、70歳の監督の作品とは思えないほど、官能的。また、貴族の生活を映し出す美しい映像は、自身が貴族の出身であるヴィスコンティにしか、表現し得ないものだろう。

トゥリオの妻ジュリアーナは、それが不義の結果と知りながら、堕胎を拒否する。堕胎であれ、自殺であれ、神から授かった命を人間の手で終わらせることは、カトリックの教義に反することで、殺人と同様の罪となるからだ。

「地上のことは地上で決着をつけたい」と無神論者のトゥリオは言うが、カトリックの教義を建前とする妻の本音を、肌で感じていたのかもしれない。


ロケ地 / ローマ、ルッカ

  • コロンナ宮 … 公爵夫人の音楽会のシーン等
  • トゥリオの実家・別荘はルッカのvillaを使用して撮影。(詳細は未確認)

製作 / 1975 イタリア
監督 /
ルキノ・ヴィスコンティ

キャスト / トゥリオ … ジャン・カルロ・ジャンニーニ
ジュリアーナ …
ラウラ・アントネッリ
テレーザ … ジェニファー・オニール
原作 / ガブリエレ・ダヌンツィオ 「罪なき者」
媒体 / VIDEO,
DVD → ヴィスコンティ DVD-BOX 2
イノセント 無修正版 デジタル・ニューマスター

<Back ▲Top

イル・ポスティーノ / Il Postino

1950年代、 イタリア。 本国チリから思想的な理由でイタリア、ナポリ沖のプローチダ島へ亡命してきた有名な詩人、パブロ・ネルーダ。彼と彼専属の郵便配達夫となったマリオ。

漁師の仕事に嫌気がさし、不平をもらす毎日から、郵便配達の仕事を得たことをきっかけにマリオの毎日は少しずつ変わっていく。目の前のことに積極的に動くようになる。一目惚れした女性の気をひくために、詩を贈る。共産党の活動に参加する … …。

ひとつの出会いがマリオの人生を変えてしまう。 それが良かったのか、良くなかったのか。彼にとっては? 彼の家族にとっては?島の風景と、マリオの純粋さに惹きつけられる。

マリオを演じたマッシモ・トロイージ。心臓を患っていたにもかかわらず、自分の手術より撮影を優先させ、撮影終了翌日に急逝したという。スクリーンのマリオと、現実のトロイージが重なる。


ロケ地 / プローチダ島(ナポリ沖)、サリーナ島 (シチリア近海・エオリエ諸島)

  • コリチェ−ラ村(プローチダ島) … 漁村。海岸沿いにバールとして使用された建物(実際は小型船舶の修理工場)がある。
  • サリーナ島 … ネルーダの暮らす家はサリーナ島でのロケ。

なお、原作では舞台はチリの島である。


製作 / 1995 イタリア
監督 / マイケル・ラドフォード

キャスト / マリオ … マッシモ・トロイージ
ネルーダ …
フィリップ・ノワレ
ベアトリーチェ … マリア・グラツィア・クチノッタ
原作 / アントニオ・スカルメタ 『イル・ポスティーノ』 徳間文庫 鈴木 玲子【訳】
媒体 / VIDEO,LD,
DVD
サウンドトラック / イル・ポスティーノ

Official site (イタリア語)
Official site (英語)

イル・ポスティーノ (1994年作品) Il Postino (The Postman) [Import CD from Italy]

<Back ▲Top

海の上のピアニスト / The Legend of 1900

1900年、アメリカ−ヨーロッパを結ぶ大型客船「ヴァージニアン号」。一度もその船から降りることがなかった天才ピアニストの生涯。物語は、そのピアニストと一緒にバンドとしてプレイした仲間、トランペットのマックスの目を通して語られる。

1900年を迎えた日、客船「ヴァージニアン号」の船員が船内のホールで生み捨てられている赤ん坊を拾う。その年にちなんで”1900(ナインティーン・ハンドレッド)”と名づけられた赤ん坊は、成長しピアニストとして頭角を現すようになる。彼が他のピアニストと違っていた点は、育ての親が彼を手放す羽目になるのを怖れて、彼をどこにも上陸させることなく、船内で育てたこと。それゆえ、どこの国の記録にも彼の名前はなかった。彼が存在しているという事実がどこにも記録されていなかったのである。そして彼は成長後も、自分の意志で船内に留まり続けた。

ファンタジー、である。記録はなく記憶の中にしか残っていない男、1900。

一枚のレコードをきっかけに、かつてのバンド仲間だったマックスが1900について語り出す。その話は俄かには信じがたいのだが、ひきつけられる話である。1900の虚ろな目は、現実に存在している男のものなのか、ファンタジーの世界に生きる男のものなのか。その目がかえってこのストーリーにリアルさを出しているようだ。

彼は幾度となく、地上で演奏することを勧められ、また、自分でも未知の世界である陸地へ降りようとする。一度でも、経験してしまえばなんでもないことなのだとわかっていても、その最初の一回を躊躇してしまう気持ち。最初の一回をやめてしまったが為に、もう一度という気持ちにならない心境。たとえ、誰かが背中を押してくれたとしても、一歩踏み出すことすらできなくなってしまう、その気持ちは1900に限ったことではなく、日常誰もが経験したことがあるはずの気持ちである。そして、彼は消極的な理由から、船に留まり続けるのである。マックスが語る1900のエピソードは印象的。中でも、1900とマックスの出会い、踊るように床を滑るピアノを演奏する1900、そして、ピアニスト対決のシーンの描き方は鮮やか。

特殊な設定であるし、話の展開も想像できてしまうのだが、それでもなおドラマチックなストーリーと美しい映像と音楽は鑑賞に値する。ただ、トルナトーレの作品ということで、イタリア色の強いもの、深みのあるストーリーを期待される向きには物足りないかもしれない。

「おんがく」という日本語をつぶやく東洋系の女性。トルナトーレはどいういうつもりで、この女性に日本語をつぶやかせたのか。日本の観客への”ご挨拶”か?その真意はわからない。

原作はひとり芝居のための戯曲ということで、舞台は本作品とは、かなり趣きが違うものなのだろう。機会があればぜひ見てみたいと思う。なお、作中登場するジャズピアニスト、ジェリー・ロール・モートンは実在の人物である。

籠の中の鳥は、外へ出られないのではなく、自らの意志で中へ留まっているのかもしれない。そんなことを考えた。


ロケ地 / ウクライナ

ストーリーのほとんどは船上。船はウクライナのオデッサにあった元貨物船を使用。その他、ローマでのセットによる撮影。


製作 / 1999 イタリア・アメリカ
監督 /
ジュゼッペ・トルナトーレ
音楽・ピアノ演奏 /
エンニオ・モリコーネ

キャスト / 1900 … ティム・ロス
マックス … ブルース・テイラー・ヴィンス
楽器店主 … ピーター・ヴォーン
原作 / アレッサンドロ・バリッコ 『海の上のピアニスト』 白水社   草皆伸子【訳】
媒体 / VIDEO,
DVD
サウンドトラック / 海の上のピアニスト

Official site
Official site (イタリア語)
Official site (英語)

海の上のピアニスト

<Back ▲Top

エヴァの匂い / Eva

1960年代、ヴェネツィア、ローマ。魅力的な女性・エヴァに夢中になり、仕事も友人も婚約者も失ってしまう男の物語。

作家のティヴィアンは、自分の作品が映画化され、婚約者・フランチェスカとの結婚話も進み上機嫌だった。ところが、ヴェネツィアで偶然知り合ったエヴァに魅かれてしまう。大金をつぎ込みつくしてもエヴァから冷たくされている男がいたことを知りつつも、ティヴィアンはエヴァを追わずにはいられない。やがてその情事もフランチェスカの知るところとなり、ティヴィアンは彼女を失う。それでもなお、ティヴィアンはエヴァを追うのだった。

愛に溺れる男と男を冷たくあしらう女、という図式が最初から最後まで続く。手に入りにくいものほど、手に入れたいという気持ちが強まるのは人の常。しかも美しいエヴァは、ときどき男の求めに応じるのだから性質が悪い。もしかしたら、と期待してしまうではないか。逆を言えば、簡単に自分になびくティヴィアンはエヴァにとっては物足りない男。「負け犬よ」ということばは厳しいようだが、このことばから、ティヴィアンは彼女の気持ちに気づくべきだったろう。

男を弄ぶエヴァと、そのエヴァに翻弄される男。どう見ても悪いのは女の方なのだが、それでも同情する気にもなれないほどティヴィアンは情けない。

レコードから流れる“柳よ泣いておくれ”の気だるさが印象的。

鏡に(そして、サングラスに)写る虚像が効果的に使用された映像。恋焦がれた理想の女性なんて、しょせんは虚像なのかもしれない・・・・ということか?


ロケ地 / ヴェネツィア、ローマ

ヴェネツィア

  • サン・マルコ広場
  • ハリーズ・バー … 冒頭のバーのシーン
  • ホテル・ダニエリ … エヴァとティヴィアンが滞在するホテル
  • サンタ・マリア・デラ・サルーテ教会 … ティヴィアンとフランチェスカが結婚式を挙げる
  • キオッジャ(Piazettaに面したカフェ) … ラスト近く、ギリシャ行きの前のエヴァと会話するシーン
  • トルチェロ島 … ティヴィアンの家がある島。現在では人口数十人の廃虚のようになってしまった島。

ローマ

  • マルタ騎士団長の館(アヴェンティーノの丘) … エヴァとティヴィアンが扉の鍵穴を覗くシーン。スクリーンではわかりにくいかもしれないが、鍵穴の向こうに見えるのは、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラである。

製製作 / 1962 フランス [フランス語作品]
監督 / ジョセフ・ロージー

キャスト / エヴァ … ジャンヌ・モロー
ティヴィアン … スタンリー・ベイカー
フランチェスカ … ヴィルナ・リージ
※ ペギー・グッゲンハイムが出演しているらしいのですが、
確認できませんでした。「このシーンのここ!」と言う情報を
お持ちの方、情報をお寄せください。_(._.)_
原作 / ジェームズ・ハドリー・チェイス 『悪女イブ
     創元推理文庫  小西 宏【訳】
媒体 / VIDEO,LD,DVD

サウンドトラック / エヴァの匂い
Eva (1962)/A Time for Loving (Paris Was Made for Lovers 1971)

<Back ▲Top

エーゲ海の天使 / Mediterraneo

1940年代、 ギリシャ。 第2時世界大戦中、エーゲ海に浮かぶギリシャの小島に派遣された8名のイタリア兵。大戦の本流から外された兵士たちの ”のどかな”戦争。

1941年、8名のイタリア兵がギリシャの小島に派遣される。人の気配を感じない、その島で彼らは任務につくのだが、開始早々、アクシデントから無線機を壊してしまう。通信手段を無くして途方に暮れる彼らは、任務を続けるうちに島には住人がいること、だが男たちを戦争で取られてしまい、女と子供と老人しか島にはいないことを知る。

友好的な島の住民との奇妙な共同生活が始まる。島の女と恋に落ちる者もいれば、請われて教会に壁画を描く者も、もちろん、大戦の本流に戻り、国のために尽くしたいと願いながら日々を送る者もいた。そんな彼らに情報がもたらされる。島で過ごした3年の間に戦局は大きく変化していた。

戦争の映画である。間違いなく。でも限りなくのどかであり、海は美しい。

戦争は前線で戦ったものだけではなく、その本流から外れ、戦いとは全く関係がない日々を送ったかに見えた者たちにも足跡を残した。それは、決して不幸な結果というわけではないのだが、生活を変えざるを得なくなったものも少なくはなかっただろうことを想像させる。だが、日本人としては、大戦終結を知らずに数十年を過ごした人たちがいたことを知っているだけに、3年で本国へ帰ることができた彼らは、やはり「幸せ」だったのではないかと思う。


ロケ地 / ギリシャ

残念ながらイタリアはこれっぽっちも映らない。


製作 / 1990 イタリア
監督 /
ガブリエーレ・サルヴァトレス

キャスト / アントニオ・ファリーナ … ジュゼッペ・チェデルナ
モンティーニ中尉 … クラウディオ・ビガッリ
ロルッソ軍曹 … ディエゴ・アバタントゥオーノ
ヴァシリサ … ヴァンナ・バルバ

媒体 / VIDEO

Official site (英語)

<Back ▲Top

奥サマは魔女 −魔王の陰謀−/ Un amour de sorciere
(公開時タイトル「ヴァネッサ・パラディの奥サマは魔女」)

1990年代、ヴェネツィア、フランス、アメリカ。魔女・モーガンが幼い息子の将来を案じ、魔王の手から息子を守るため父親となってくれる人間を探す。だが、その人間とモーガンは恋に落ちてしまう、というファンタジー。

ビル・ゲイツの再来といわれるハイテク機器開発の天才・マイケル。モーガンは彼を息子・アーサーの父親とするべく近づく。アーサーは魔力を持っているため、魔王・モロクから後継者として狙われている。アーサーを魔王の手に渡さないため、彼の持つ魔力を無くすには、人間の父親を見つける必要があった。モーガンはアーサーをモロクの手から守れるのか? そしてマイケルとの恋のゆくえは?

キュートなヴァネッサ・パラディを存分に楽しむためのファンタジーであり、ラブ・ストーリーである。ジャン・レノの怪演も見逃せない。

ヴェネツィアは恋に落ちたふたりの新婚旅行先として登場。カーニヴァルのような光景も見られるが、設定では季節は夏のはず。単なる仮面舞踏会形式のパーティーか?

なお、有名なテレビドラマとは無関係。


ロケ地 / ヴェネツィア、フランス、アメリカ

  • リアルト橋
  • サン・マルコ広場、ドゥカーレ宮殿 … デートコース

製作 / 1997 フランス[英語作品]
監督 / ルネ・マンゾール
特撮監督 / デビッド・カッパーフィールド

キャスト / モーガン … ヴァネッサ・パラディ
モロク …
ジャン・レノ
マイケル … ギル・ベロウズ
エグランティーヌ(モーガンの祖母) … ジャンヌ・モロー
媒体 / VIDEO,DVD
サウンドトラック / 奥サマは魔女  →

Gallery
Official site (英語)

cover

<Back ▲Top

踊れトスカーナ! / Il Ciclone

1996年6月、フィレンツェ、スティア。平凡な日々を送る会計士レバンテに訪れた”台風”。偶然出会ったフラメンコ・ダンサーのカテリーナとの恋。

フィレンツェから40kmの農村に暮らすレバンテ。リベラルな父親にレバンテ(決起)と名づけられたわりには、会計士として平凡な日々を送っていた。ある日、道を間違えてフラメンコ・ダンサーたちがレバンテの家へ迷い込んだ。レバンテはその中のカテリーナに一目惚れ。そして、レズビアンの妹、セルバジャもダンサーの中の一人に恋してしまう。それぞれの恋のゆくえは?

文句なしに楽しい作品。ストーリーにひねりこそないが、暗い部分も少しもない。ひとくせもふたくせもある登場人物たちは、少々現実離れしているが、そんなことは気にせずに、彼らの言動を笑い飛ばそう。ユニークな人々のなかでも、セルバジャはダントツ。バルバラ・エンリーキが好演。

監督のピエラッチョーニは「人生の行方なんて決まっていると思っていても、いざ嵐がやってきたら、運ばれるままに身を任せるしかない」、そういう人生のターニング・ポイントを描きたかったのだと言う。レバンテに訪れた”嵐”は、彼をどこへ連れて行くのだろう?そしてレバンテ以外の周囲の人々にもこの嵐は”被害(?)”を与えてスペインへと去っていく。

セルバジャが納屋で、ワインを大きなビン(抱えるほどの大きさ)から普通のビンへと小分けしているシーンがある。農家に限らず、イタリアではこのダミジャーナと呼ばれる大きなビンから毎日の分を小分けして飲むのである。

レバンテの祖父ジーノのことばが、ひまわり畑に響く。”オーレ!” 陽気なはずのその掛け声は、どことなく寂しく聞こえた。


ロケ地 / フィレンツェ、スティア

前半部分はフィレンツェから東へ約40kmのスティアという街。

後半部分はフィレンツェ。

  • Hotel Cavour (背景にベッキオ宮の塔が見える) … カテリーナたちが滞在するホテル
  • フィレンツェ SMN駅 … レバンテがカテリーナを追いかけるシーン
  • Ristrante Beatrice … カテリーナたちが食事するシーン
  • デートコースは、アルノ川沿い、孤児養護院など

製作 / 1996 イタリア
監督 / レオナルド・ピエラッチョーニ

キャスト / レバンテ(決起) … レオナルド・ピエラッチョーニ
カテリーナ … ロレーナ・フォルテーザ
セルバジャ(野性) … バルバラ・エンリーキ
リーベロ(自由) … マッシモ・チェッケリーニ
媒体 / VIDEO,LD,DVD

Gallery
Official site (東宝)
Official site (イタリア語)

 

cover

<Back ▲Top

オンリー・ユー / Only you

1980年代、ヴェネツィア、ローマ他、アメリカ。

幼い頃の占いで告げられた「将来の結婚相手」の名前−−−−デイモン・ブラッドリー。電話口の男がその名前を名乗るのを聞いたフェイスは、10日後に結婚を控えているというのに少ない手がかりを元に彼に会いに行くことにする。「運命の人」を探して、ヴェネツィアから、ポジターノ(ナポリ近郊)まで旅をするロードムービー。

最初から最後まで、ドタバタとしたストーリー運びなのだが、恋する女(会ったことのない相手だろうと、フェイスは確かに恋しているのだ)の行動力に、思わず応援したくなってしまう。ローマでフェイスと偶然知り合ったピーターは、フェイスに一目惚れ。デイモン・ブラッドリーを追う彼女をなんとか振り向かせようと、策略したり、協力したり。結果は……。何も考えず、楽しんで見ることのできるラブストーリー。

イタリア各地の景色も楽しめる。


ロケ地 / ヴェネツィア、サン・ジミニャーノ、ローマ、ポジターノ

ヴェネツィア

サン・ジミニャーノ … キャンティをラッパ飲み(!)する二人の向こうに塔が見える

ローマ

  • コロッセオ−サン・タンジェロ城−ヴェネツィア広場−真実の口

ポジターノ

  • Hotel le Sirenuse … フェイスたちが滞在するプールのあるホテル
  • Covo dei Saraceni … フェイスたちが食事するレストラン

製作 / 1994 アメリカ [英語作品]
監督 / ノーマン・ジュイソン

キャスト / フェイス … マリサ・トメイ
ピーター … ロバート・ダウニー・Jr
ケイト … ボニー・ハント
ジョヴァンニ … ジョアキム・デ・アルメイダ
媒体 / VIDEO,LD,DVD
サウンドトラック / オンリー・ユー(アメリカ盤)

オンリ−・ユ− [DVD]  

<Back ▲Top

Copyright (c) 1999-2006 Kimichi All Rights Reserved