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ノスタルジア / Nostalghia

1980年代、トゥスカニア、バーニョ・ヴィニョーニ、サン・ガルガノ、ローマ。音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追うアンドレイ。イタリアで望郷の念にかられるアンドレイは、温泉で出会ったドメニコに強く惹かれていく。

ロシア人のアンドレイは、イタリアに留学していた音楽家サスノフスキーの伝記を執筆すべく、通訳のエウジェニアとともにイタリアを旅行していた。サスノフスキーの境遇に自分を重ね合わせ、望郷の念に駆られるアンドレイ。温泉で出会ったドメニコは、その狂信的なまでの信仰から家族を失ったのだが、信仰を守り続け世界の救済を強く願ってい た。アンドレイはドメニコに何かを感じ、彼の頼みごとをきくことにする。

想像したところで想像し得ないのが、国を出た人の望郷の思い。特に当時のソ連が祖国であった人々は、簡単に他国との間を行き来することはできない。祖国を出て暮らすことを選んだとしても簡単に忘れられるはずもなく、だからといって容易く帰れるわけでもなく、帰ってしまえば現在の生活に戻れるあてもなく。それゆえに、躊躇い、焦がれ、後ろめたく思う。本作完成後も故国へと戻ることのなかったタルコフスキー自身とも重なるものがあるはずだ。

ストーリーを超えて強烈に訴えかけてくる映像。共通するものは水と火。

雨降りの日、ドメニコの家の描写が特に印象的。雨漏りというよりも、家の中で雨宿りするといったほうが良さそうなぐらいのドメニコの家。飼い犬のゾーイも、乾いたところを探して寝そべる。極めつけはベッドの上に天蓋のように貼られたビニールシートに溜まる雨水。横溢するドメニコの強烈な思いであるかのように、水は形を変え、至るところに存在する。

そして、扉と枠しか残っていないドア。アンドレイはそのドアを開けることなく脇を歩いていく。後を歩くドメニコはドアを開けて通る。かつて存在していたはずの壁の位置は通らずに。映像は雨に濡れる屋内を横スクロールしていく。ひとつひとつの細かな描写から伝わる彼の思いの強さと、それがもたらした現実。

聖カテリーナの温泉、水浸しの教会、水溜りに映るサン・ガルガノの修道院。水が象徴するのは阿頼耶識か?その対照にあるのは火。聖母に捧げるろうそくの火、アンドレイに託されたろうそくの儀式。ドメニコの思いを昇華させるような炎。そして音飛びするレコードのような第九。

水を媒介につながった人々の思いは、炎となって天に届くのか?ラストシーン。原風景を思わせる映像。焦がれた祖国は、”イタリアの檻”に囚われたままであった。

この作品を観て観客が感じること。それはおそらく、タルコフスキーが観客に伝えようと意図したものではなく、観客の心のうちの投影なのではあるまいか。そんな気持ちにさせる作品であった。

聖カテリーナも湯治に訪れたという温泉は、立ち上る湯煙から見て日本の風呂に近い温度なのではないかと想像される。イタリアでは温水プールのようなぬるめの温泉や、温水を飲むだけ(風呂のように浸かったりはしない)という温泉も多いと聞く。加えて硫黄泉だということだから、かなり日本の温泉に近いものがあるかもしれない。

音楽家パヴェル・サスノフスキーが実在していたのかは不明。


ロケ地 / トゥスカニア、バーニョ・ヴィニョーニ、サン・ガルガノ、ローマ、カルカータ

トゥスカニア

  • サン・ピエトロ教会 … 「出産の聖母」のある地下聖堂。ピエロ・デラ・フランチェスカの壁画は、実際にはこの教会ではなく、モンテルキ(マドンナ・デル・パルテ博物館)にある。
    参考 : Web Gallery of Art PIERO della FRANCESCA

バーニョ・ヴィニョーニ

  • Albergo Le Terme … 聖カテリーナの温泉は、このホテル。
    (以前記載していたHotel Posta Marcucci
    温泉プールより下流にあり撮影スタッフが宿泊したとのこと)  (情報提供:Jimさん)

サン・ガルガノ

  • サン・ガルガノ修道院 … 廃墟となっている修道院

ローマ

  • カンピドリオ広場 … ドメニコが演説する広場

カルカータ

  • ドメニコの家から車で離れ絶壁の街を下っていくシーン (情報提供:Jimさん)

製作 / 1983 イタリア・旧ソビエト
監督 / アンドレイ・タルコフスキー

キャスト / アンドレイ・ゴルチャコフ … オレグ・ヤンコフスキー
ドメニコ  … エルランド・ヨセフソン
エウジェニア  … ドミツィアーナ・ジョルダーノ
媒体 / VIDEO, LD, DVD

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 … ロケ地の旅行記、写真

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ナイト・オン・ザ・プラネット / Night on Earth

1990年代。ロサンジェルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ。5つの都市で同時刻に起こる、タクシー運転手にまつわる話のオムニバス・ストーリー。

ローマ、午前4時。タクシー運転手のジーノが乗せた客は神父。道中ジーノは懺悔をすることを思いつき、神父が断るのも聞かず、自分の過去を語り始める。

ジーノを演じるベニーニは、ほとんど独演の状態。客を乗せる前も乗せてからも、ユーモアを交えながら、延々としゃべりつづける。長セリフを覚えているのか、アドリブ入りなのかはわからないが、そのしゃべりが小気味よい。

ジーノは走りながら一方通行の表示を見ては、ああまたかという感じで叫ぶ。「センソ・ウーニコ(一方通行)!」
ローマのような古くからの街は、自動車が走るには幅狭く、一方通行の道も多い。そのうえ彼は、一方通行を逆走してつきあたりで、また叫ぶ。「この壁は昨日までなかったぞ!」

ローマのタクシーの運転手はみんなこんなふうに陽気なんだと思わせかねない、勢いだ。

ジーノのタクシー、ギアのレバーが「(ビリヤードの)黒の8」になっている。?と思った人は、彼が出演したもう一つのジャームッシュ作品、「ダウン・バイ・ロー」を見てほしい。(舞台がアメリカのため、このサイトでは多分扱わないが、彼の妻、ニコレッタ・ブラスキも出演しているので注目)

ローマ編以外では、ロサンジェルス編のウィノナ・ライダーが出色。


ロケ地 / ローマ、ロサンジェルス、ニューヨーク、パリ、ヘルシンキ

ローマ市内を走る冒頭部分でBARの看板にTevereとあるので、出発点はトラステヴェレ付近か?
ティブルティーナまでと頼まれて、「司祭さま、ヴァチカンじゃないんですか?」と聞き返している。


製作 / 1991 アメリカ
監督 / ジム・ジャームッシュ
 
キャスト / ジーノ … ロベルト・ベニーニ

媒体 / VIDEO, LD, DVD
サウンドトラック / Night On Earth: Original Soundtrack Recording

ナイト・オン・ザ・プラネット [DVD]

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眺めのいい部屋 / A room with a view

1907年、フィレンツェ、フィエーゾレ及びイギリス。イギリス上流階級のルーシーがフィレンツェ旅行中に出会うジョージとのラブストーリー。

主人公ルーシーがフィレンツェを訪れた際、通されたホテルの部屋は、予約した時にお願いしたはずの「眺めのいい」部屋ではなかった。窓から街の景色もドゥオーモも見えないと言って不満をもらすルーシー。それを知り、眺めのいい自分たちの部屋との交換を申し出てくれたジョージ。階級差があることから、ルーシーは自分の気持ちを押え込み上流階級のシシルと婚約するのだが……。

作品の表層的なラブ・ストーリーは、女性が持つシンデレラ・コンプレックスを十分に満足させてくれるもの。籠の鳥を外に連れ出してくれる男性が突然目の前に現われるのだから。

しかし、視点をかえれば、思春期のルーシーが自己を確立していく過程を描いたストーリーでもあると言えるだろう。
その人を取り巻く環境−−−階級、慣習、性別、国籍−−−が、本人の想像以上にその人の思考・行動を制限してしまうことはよくあること。比較対象の得られない閉鎖されたコミュニティーでは、なおさらだ。そういう時代であったとはいえ、現代の感覚で見ると「階級」にとらわれた生き方をする人々は滑稽でさえある。

そんな制限の多い社会に生きていたルーシー。旅先での人々との出会いを通して、”垣根”の外に出ることが「いけないこと」でも「できないこと」でもないということに気がついていく。現代に生きる我々、客観的に見ている我々には、あたりまえのことでもあり、簡単に思えることでもあるのだが。

「『できないこと』というのは、愛していて別れることだ 」

その一言が決断のきっかけとなり、籠の中の鳥は躊躇することをやめ、外へと飛び立つ。ルーシーは階級社会の一員としての暮らしよりも、自分であること、自分の気持ちに素直に生きることを選んだのである。

旅先では誰しも開放的な気分になるもの。ましてや、曇り空のイギリスから陽のあたるイタリアの街へきたのだから。階級社会という制限から開放された場所の象徴がフィレンツェなのかもしれない。

しかし、自己の確立などということに思いを巡らさず、美しい風景と絵に描いたようなラブ・ストーリーにどっぷりと浸るのも悪くないと思わせる作品であることも確か。(……そして、こんなにかっこ悪いダニエル・デイ・ルイスはもう見たくないとも思わせる作品でもあるのだが。)

本文中の画像は掲載の許可を受けております。転載はご遠慮ください。


ロケ地 / フィレンツェ、フィエーゾレ、イギリス

窓から見える風景は、アルノ川沿いのヴァザーリの回廊越しに右手にヴェッキオ宮、左手にドゥオーモとジョットの鐘楼。この風景が見られる位置は、アルノ川のヴァザーリの回廊の対岸の限られた地域だが、残念ながらこのあたりに現在それらしきホテルはない。さて、「眺めのいい部屋」はどこにあるのだろう?

フィエーゾレ

  • Villa di Maiano … ペンシオーネ・ベルトリーニ内部(食堂、ロビー等)の撮影に使用された。[Villaの外観はピクニックの行き先の館か?]
  • ピクニックへの道はフィレンツェからフィエーゾレへと向かう道。途中、バーナード・ブレンソンのVilla Tattiを通り過ぎる。

フィレンツェ

  • Hotel degli Orafi (旧 Quisisana & Ponte Vecchio) … ルーシーたちが「眺めが良くないわ」と言った最初の部屋。(ヴァザーリの回廊の向かいの位置、ウフィッツィ美術館とは同じ岸にある。)この映画のイタリア部分の撮影時にクルーたちが宿泊したこのホテルは93年のウフィッツィ爆弾テロにより、深刻な被害を受けた。 そのため一時期閉鎖していたが、2002年にリニューアル・オープン。ホテル名もその際に変更されたらしい。(情報提供 : のりへいさん)
  • Annalena … 「眺めのいい」部屋の窓からの眺めを撮影したホテル??
  • 孤児養護院 … シャーロットたちが道に迷う直前に通る
  • サンタ・クローチェ教会 … ルーシーがジョージの父と会う教会
  • シニョーリア広場 … ルーシーが殺傷事件に遭遇するシーン
  • ランツィのロッジァ(回廊) … このロッジァが後にストーリー中に登場する小説に描かれている場所。シニョーリア広場に面している。
  • ウフィッツィ広場 … 事件後にルーシーとジョージが話すシーン

製作 / 1986 イギリス [英語作品]
監督 / ジェームズ・アイヴォリー

キャスト / ルーシー … ヘレナ・ボナム・カーター
シャーロット … マギー・スミス
ジョージ …
ジュリアン・サンズ
シシル … ダニエル・デイ・ルイス
ジョージの父 … デンホルム・エリオット
原作 / E・M・フォスター 『眺めのいい部屋』ちくま文庫 西崎 憲、中島 朋子【訳】
媒体 / VIDEO, LD,
DVD
サウンドトラック / 眺めのいい部屋

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夏の嵐 / Senso

1866年、ヴェネツィア。オーストリア占領下のヴェネツィア。従兄弟を救う目的で近づいたオーストリア将校に恋をする伯爵夫人。その破滅的な恋の悲しい結末。

ヴェルディの「トロヴァトーレ」が上演されるオペラの劇場で若き将校フランツと知り合った伯爵夫人リヴィア。最初はフランツと従兄弟ロベルトの決闘を回避させるためであったが、リヴィアはフランツを思うようになり、逢い引きを重ねる関係に。フランツの身を案じ、また少しでも長く一緒にいたいと願うリヴィアのとった行動は、祖国のために戦う同志たちを裏切ると同時に、フランツを苦しめることになる。

ストーリーはメロドラマ、しかも王道をいくメロドラマである。オリジナルタイトルのSensoとは、「官能」の意。経済的には何不自由なく暮らしていた伯爵夫人リヴィアの平穏な−言い換えれば変化がなくつまらない−日常を刺激したのは若いオーストリア将校フランツ。リヴィアにとっての「官能」。確かにフランツは若くて、ヴェネツィア中の御婦人の噂の的であった。それに加えて将校であるから、軍服姿である。軍服というものはそれだけで男性を魅力的に見せてしまうことをフランツは気づいていたのだろうか。

そしてヴェネツィアの持つ特有の雰囲気が彼らの気持ちをさらに加速させる。のめり込んでいくリヴィアの情熱と、軽い遊びから逃れ損なったフランツの誤算。その情熱が重荷になってしまうことにリヴィアは思い及ばなかったのか。その情熱がフランツの魅力を剥ぎ取ってしまったのだということを理解できなかったのか。

フランツを演じるファーリー・グレンジャー。当時、美形俳優に数えられたひとりだが、どうもそれほどの魅力は感じられない。貴族の役柄ではないのだから、気品がないのは仕方がない。リヴィアが身を持ち崩すほどに夢中になったのも、感情は理屈で割り切れるものではないのだから、好きになってしまったら客観的な要素など問題ではない。でも、ヴェネツィア中の御婦人の人気を一身に集めるほどなのか。もう少し魅力ある俳優を配してくれたら、と思うのは贅沢か。

濡れたヴェネツィアの街をドレスの裾も気にせず、フランツを探すリヴィア。フェニーチェ劇場に集う観客たちの優雅な衣装も見ごたえあり。

なお、「トロヴァトーレ」を作曲したヴェルディ の名前は国家統一を願うデモの際に人々が口々に叫んだ名前でもある。ヴェルディへの共感であると同時に、イタリア統一・独立を目指していた[イタリア国王]ヴィットリオ・エマヌエーレ2世 (Vittorio Emanuele Re D'Italia)の頭文字がVERDIと一致していたためである。


ロケ地 / ヴェネツィア

  • フェニーチェ劇場 … 冒頭のオペラのシーン

製作 / 1954 イタリア
監督 /
ルキノ・ヴィスコンティ

キャスト / リヴィア … アリダ・ヴァッリ
フランツ … ファーリー・グレンジャー
媒体 / VIDEO, LD, DVD /ヴィスコンティ DVD-BOX 1
関連書籍 / L. ヴィスコンティ 『夏の嵐 ヴィスコンティ秀作集 2』新書館 吉岡 芳子【訳】
夏の嵐

 

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ナポリと女と泥棒たち / Operazione San Gennaro

1960年代、ナポリ。アメリカのギャングが、ナポリの犯罪組織と手を組んでナポリにあるサン・ジェンナーロの秘宝を狙うコメディ。

サン・ジェンナーロに眠る秘宝を我が物にすべく、アメリカからジャックがナポリへやってきた。地元の犯罪組織と手を組んで強奪作戦を実行に移すことになる。ところが、ジャックは、最初から分け前を相手に渡すつもりはないし、ナポリ側のドドも、自分たちの守護聖人の宝をナポリの外へ持ち出そうとするアメリカ人をよく思わない。かくして、協力しているかのように見える二組は互いを警戒しつつ、秘宝を狙うことになる。そこに、ジャックの女・マギーが絡んでいたから話はさらにややこしくなり・・・・。

全体的にちょっととぼけた感じのコメディ。服役中のナポリの犯罪組織の親分に扮する喜劇王・トトも威厳があると言うよりは、頼りなくとぼけた感じ。誰もが真剣そうなのだが、少しずつみんなズレていて笑わせてくれる。連絡を伝えるのに窓から窓へ”伝言”したり、強奪作戦の実行の時間を歌謡グランプリの放映時間と合わせたり、作戦の途中で結婚式に引き摺り込まれたり、と細かい笑いと”いかにもナポリ”の光景(デフォルメされていることと思うが)がたくさん。笑いながら、秘宝のゆくえを眺めることとしよう。

サン・ジェンナーロは、ナポリの守護聖人であり、古代ローマ時代に殉教した聖人。彼の名を冠した礼拝堂をもつ大聖堂が、この作品の舞台となった場所である。この大聖堂は秘宝よりも奇跡でその名を知る人が多いかもしれない。聖遺物入れの中の粉末化したサン・ジェンナーロの血液が奇跡により液化するのである。そして、液化した(奇跡が起こった)年はナポリにとって良年なのだという。


ロケ地 / ナポリ

  • 大聖堂(サン・ジェンナーロ礼拝堂)

製作 / 1966 イタリア・フランス・西ドイツ
監督 / ディーノ・リージ

キャスト / ドン・ヴィンチェンツォ … トト
ジャック … ハリー・ガーディノ
マギー … センタ・バーガー
アルマンディーノ(ドド) … ニーノ・マンフレディ
媒体 / VIDEO, LD

サウンドトラック / Operazione San Gennaro

Operazione..

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ニュー・シネマ・パラダイス / Nuovo cinema paradiso

1940〜50年代、シチリア、ジャンカルド村。映画が人々のおそらくは唯一の娯楽であった頃、映写室に潜り込んだトトと映写技師アルフレードとの交流。シチリアの田舎町を舞台に展開する映画を愛した二人の物語。Nuovo Cinema Paradiso

ローマで成功していたトトのもとに訃報が届く。それは、少年時代、映画に熱中する少年・トトの大先輩でもあり、父のように慕ったアルフレードの死を知らせるものだった。アルフレードと過ごした日々、映写室の中で過ごした時間。それはそのままトトの少年時代と重なる。故郷へ帰りアルフレードの葬儀に参列したトトが目にした現実は、彼らの思い出の場所、パラダイス座の閉館であった。そして、形見として渡されたフィルムに映っていたものは……。

ひとつひとつのエピソードを通して、トトがアルフレードがいかに映画を大切に思っていたか、映画館”パラダイス座”を愛していたかが滲み出るように伝わってくる。細かい説明は不要と思う。トトに、アルフレードに、感情移入して涙してほしい。

当時小さな村では、教会(と、その前の広場)が村の中心であり、教会は本来の宗教的な目的以外に、ひとびとの集う公民館的な役割も果たしていた。映画館として使用されていたのも、そのいくつかの用途のうちのひとつ。ゆえに、司祭の検閲が入るのである。

パラダイス座のスクリーンを飾る映画は「どん底」「駅馬車」「揺れる大地」「にがい米」「素直な悪女」と名作が続く。ちなみに火事になった時にかかっていたのは喜劇王”トト”の作品。

イタリアでは新年を迎えたときに、不要なものを窓から投げ捨てる習慣があった。(南の地方では未だ習慣として残っているらしい)映画中にその光景も見られる。


ロケ地 / パラッツォ・アドリアーノ、チェファルー

舞台となったパレルモ近郊のジャンカルド村は架空の村。

実際のロケはゴッド・ファーザーで知られるコルレオーネ村から近いパラッツォ・アドリアーノ村。山村であり鉄道もないため、海と鉄道のシーンは海辺のリゾート地、チェファルーで撮影。

  • ウンベルト広場 … 「ここは俺の広場だ」の広場
  • マリア・アスンタ教会(外観)、カルミネ教会(内部) … パラダイス座

実際のパラッツォ・アドリアーノ村には映画館はなく、村人たちは完成したこの映画を見るためにパレルモまで行ったという。


製作 / 1989 イタリア・フランス
監督 /
ジュゼッペ・トルナトーレ

音楽 /
エンニオ・モリコーネ

キャスト / アルフレード … フィリップ・ノワレ
トト … (少年)サルヴァトーレ・カシオ、 (青年)マルコ・レオナルディ 、 (現在)ジャック・ペラン
媒体 / VIDEO, LD, DVD↓,Blu-ray

サウンドトラック / ニュー・シネマ・パラダイス(国内盤)、
            
Nuovo Cinema Paradiso(輸入盤)

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 ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版 [DVD]

 

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ニルヴァーナ / Nirvana

2050年。近未来社会のゲーム制作の締切りに追われるゲーム・クリエイターと、彼の作り出すゲームの中のキャラクター。ゲーム中のキャラクターはアクシデントから自我に目覚め、クリエイターは自我とは何かを模索する。

オコサマ・スター社のゲーム・クリエイター、ジミーは、クリスマスを前に新しいゲームソフトの開発中。締め切りの迫るある日、そのゲーム中のキャラクター、ソロが自我に目覚める。失敗すればリセットされ、同じことを繰り返す自分の「人生」に疑問を感じ、そんな世界から解放してほしいとジミーに懇願する。ジミーはソロの願いを聞き入れ、オコサマ・スター社のデータバンクへの侵入を図る。一方、ジミーは、別れた恋人・リサとの関係を見つめ直し、自身のアイデンティティを問い直すことになる。

仮想現実と精神世界が錯綜し、整然とした近未来と猥雑なアジア風の街が入り乱れる。
現実だと思っているものは本当に現実なのか。自我とはいったい何なのか。そんなことを考えさせられる。

近未来が舞台のSFであり、舞台もアジアの都市から名前をとった架空の都市。ある意味でイタリア人の持つ東洋観を垣間見ることができるが、作品にはイタリアらしさを期待せずに観た方が良い。

気になったのは、ゲームのキャラクター、ソロ。重要なファクターなのだが、なぜか”おじさん”である。しかも、全然粋じゃない。どうして、おじさんなのか? マ○オのイメージなのだろうか?


ロケ地 / ミラノ

  • 旧アルファ・ロメオ工場(Portello)

製作 / 1996 イタリア・フランス
監督 /
ガブリエレ・サルヴァトレス
キャスト / ジミー … クリストファー・ランバート
ソロ … ディエゴ・アバタントゥオーノ
リサ … エマニュエル・セイナー

媒体 / VIDEO, DVD

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ニルバーナ

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