CinemaItalia

INDEX > 作品紹介 ふ、ほ

ふたりのトスカーナ/ Il Cielo cade

1940年代、トスカーナ。幼い姉妹が体験した戦争と二人に訪れた悲劇。

両親を亡くし、伯父夫婦に引き取られたペニーとベビー。環境の変化に戸惑いつつも、不幸な境遇にあったことさえ忘れてしまうほど愛情に包まれた楽しい暮らしの中で、地元の子どもたちと仲良くなったり、メイドの恋愛話に首をつっこんだりしながら、新しい生活に順応していく。だが、戦局は刻々と変化し、その影響は否が応にも彼女たちの暮らしにも現れてくるのだった。

子どもの目線の高さ(よりは少し低いようだが)から捉えられたローアングルな風景。子どもの目から見る大人たち。知らない家に引き取られたふたりの心細さが強調されるような映像。

ふたりの姉妹がトスカーナの日差しの中で体験するのは、つらさを払拭するような、伯父の家での裕福な暮らし、学校での体験、農家の子どもたちとの自然の中での遊び、大人たちとの関わり。その穏やかな楽しさが後に訪れる悲劇との強いコントラストを生んでいる。

中盤、ペニーが周囲の人たちからどう思われているのかを知る一連のシーンでは、彼女の心理が寂しさも悲しさも嬉しさも余さず伝わってくる。人々との関わりを通して少女は、一歩大人に近づく。描かれているのは戦争だけではない。

終盤に畳み掛けるように訪れる悲劇には、涙も出ないほど。しかし、それこそが戦争なのであり現実なのであろう。もし彼が一日早く帰宅していれば、もしイギリス軍が一日早く到着していれば、もしユダヤ系の名前でなければ、……ラストの展開は、訪れる悲劇に「もし…」と思わずにはいられない。歴史に「もし」はないと、自分を納得させつつ、だからこそ、この悲劇を免れて生き残った人々はそれを忘れずに語り継ぐ必要があるのかもしれないとも思う。きっと、この映画の原作も、忘れてはならない悲劇と忘れたくはない人々を、みなの記憶の中に留めておきたくて書かれたのではないだろうか。

同じ時期のトスカーナでの戦争体験を描いた「サン・ロレンツォの夜」「ライフ・イズ・ビューティフル」もあわせて観たい。

ペニーとベビーを引き取る伯母役には、イザベラ・ロッセリーニ。演技はもとより母親を彷彿させる横顔の美しさには、文句のつけようがない。彼女の親戚(義理の姉妹?)役に「黒い瞳」のエレナ・サフォノヴァ。そして、メイドのローサ役に「踊れトスカーナ!」のバルバラ・エンリキ。この映画でもちょっとテンションの高い役柄だが、ある事件の後、穏やかに語る彼女が印象的。


ロケ地 / ビヴィリャーノ(フィレンツェ郊外)


製作 /  2000 イタリア
監督 / アンドレア&アントニオ・フラッツィ

キャスト / ペニー … ヴェロニカ・ニッコライ
ベビー … ラーラ・カンポリ
カッチェン(伯母)  … イザベラ・ロッセリーニ
ヴィルヘルム(伯父)
 … イェールン・クラッベ
マヤ
エレナ・サフォノヴァ
ローサ(メイド)
バルバラ・エンリキ
原作 / ロレンツァ・マッツェッティ 『ふたりのトスカーナ』 竹書房文庫  北代 美和子【訳】
媒体 / DVD

Gallery
Official site

cover

<Back ▲Top

ブラザー・サン、シスター・ムーン / Brother sun, sister moon

13世紀初頭、アッシジ。アッシジの聖人、フランチェスコの生涯を描いた作品。清貧の思想に目覚めてから、法王に活動の許可を得るまで。

アッシジに実在した人物、フランチェスコ。富裕な織物商の息子として生まれたフランチェスコが、ペルージャとの戦いに参戦した後、清貧に生きることに価値を見出す。それまでの俗世の暮らしから離れ、荒廃した教会を再建する彼の姿に、徐々に共感した者たちが集まる。しかし、彼らを好ましく思わない人たちと対立し、自分の信念に間違いがあるのではないかと思い悩むフランチェスコ。
美しい映像。穏やかに進むストーリー。キャストのルックスも、絵画等から窺い知る彼ら自身とダブる。その穏やかさゆえに、インパクトに欠ける作品だが、フランチェスコの人物像を理解するには良いかもしれない。

同主題を扱ったリリアーナ・カヴァーニ監督の「
フランチェスコ」と見比べるのも面白いのでは。


ロケ地 / サン・ジミニャーノ、アッシジ、モンレアーレ

サン・ジミニャーノ
オープニングを含めていくつものシーンで、サン・ジミニャーノに林立する塔が映る。

アッシジ

  • サン・ルフィーノ大聖堂の前庭The scene in which St. Francis renounces his birthright

モンレアーレ

  • ドゥオーモ … ラストシーンの教会

 

Abbey of Sant' Antimo, Montalcino, Tuscany, Italy
(interiors of the Assisi parish church)


Gubbio, Perugia, Umbria, Italy

Piano Grande di Castelluccio, Norcia, Perugia, Italy

 


製作 / 1972 イタリア
監督 /
フランコ・ゼフィレッリ
キャスト / フランチェスコ … グラハム・フォークナー
キアラ … ジュディ・バウカー

媒体 / VIDEO、DVD

<Back ▲Top

フランチェスコ / Francesco

13世紀初頭、アッシジ。イタリアでは「第二のキリスト」とまで言われる聖人、フランチェスコの生涯を描いた作品。

裕福な織物商の長男であったフランチェスコが、一冊の福音書を手にしたことをきっかけに、神に仕える道へ。彼の福音書の解釈に従って、財産を放棄し清貧に生きるフランチェスコ。その思想に共感する者が増えるにしたがって、生じてくる問題と彼の苦悩。おそらく、伝えられている史実・エピソードをほぼ忠実に描きだしている。

彼の思想(解釈)に共感したからこそ、彼のもとに集まってきたはずの信者たちが、「厳しすぎるから規則を緩めてくれ」と要求する。見ているほうでさえ、彼らの主張に疑問を感じるような局面で、彼は苦悩する。彼らを切り捨てるのではなく、彼らに理解させようと。

フランチェスコを演じるのは、官能的な俳優、ミッキー・ローク。聖人といえど、生身の人間なのだということを再認識させる配役。裸の彼が雪原で雪と戯れる場面が印象的。「棘のない薔薇」の翻案か?

*棘のない薔薇 … 修行中、誘惑に負けそうになったフランチェスコが、衣服を脱ぎ捨て、野薔薇の中に身を投げた。すると、彼の迷いの気持ちが消えるとともに、薔薇に付いていた棘が抜け落ちたという。その薔薇は今でもアッシジのサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会に残っている。

その後の確認で、この雪原のシーンと棘のない薔薇のエピソードは関連のないことが判明。全く別に以下のようなエピソードがありました。
*フランチェスコが結婚の誘惑に苛まれ、それを押さえるために裸で雪の中に飛び出し、七つの雪だるまを作った。その雪だるまをひとつは自分の妻、四つが息子二人と娘二人、残りが下男と下女として、「こごえて死にそうなみんなに、なにか着せてやることができなければ、神にだけしか仕えなくていいのを、喜ぶんだぞ!」と、自分に言い聞かせた。


ロケ地 / アッシジ


製作 / 1989 イタリア [英語作品]
監督 /
リリアーナ・カヴァーニ

キャスト / フランチェスコ … ミッキーローク
キアラ … ヘレナ・ボナム・カーター
媒体 / VIDEO、DVD

 

Gallery

フランチェスコ ~ノーカット完全版~ [DVD]

<Back ▲Top

ぼくは怖くない Io non ho paura

1978年、バジリカータ州メルフィ。少年が偶然”穴”を見つけたことをきっかけに、大人の世界を覗いてしまう。


ミケーレはいつもの仲間と遊んだ帰りに、偶然”穴”を見つけた。その中には自分と同じぐらいの年の子どもが、鎖で繋がれていた。恐怖と好奇心を抱えて、話しかけ、食べ物を与え……。やがて、そのミケーレの”秘密”には、パパもマンマも含めた大人たちが関わっていたことを知る。ミケーレはその事実を咀嚼できるのだろうか。

大人たちの事情を知ってしまったとき、無邪気に「どうして?」と問い質してしまえるほど子どもではなく、かといって聞かずにすべてを飲み込んでしまえるほど大人でもない年頃。物事の善悪と、貧しい村の大人の事情と、自分に対する親の愛情と、穴の中にいる少年の状況、そのどれもひとつひとつは理解できるし、それに対してどうしたらいいのかもわかる。でも、全部を満足させる答えが見つからない。相談する相手もいない。

次の行動を決められるのは自分だけだ。そう自覚したときに、少年は少しだけ強くなる。痛みを知ったミケーレとフィリッポが手を差し伸べあうときに、彼らは大人にはない強さを、「怖くない」と言える強さを手にしたのかもしれない。

丁寧に描写された少年の心の動きと、見渡す限りの黄金色した麦畑の風景が印象的。 結末はズシンとくるものだったけれど、ある種の爽快感が残ったのも確か。ラ・スタンパ紙の批評には”壮大でダークなフェアリーテイル”と書かれていたそうだが、それ以上の形容は思いつかない。

見つけた少年を「自分と双子の兄弟なのではないか」と、カスパーハウザーかと言わんばかりの(そんなに大げさではないけれど)妄想をしてしまうミケーレと、悪人になりきれない大人たちが滑稽。

ディエゴ・アバタントゥオーノが「ニルヴァーナ」「エーゲ海の天使」で見せた役柄とは、がらっと違うイメージの役で出ていてびっくり。

<以下ネタバレっぽい記述あり>
営利誘拐は、それをビジネスとしている地域・集団がイタリアにはある。また、イタリアには、被害者家族の貯蓄を凍結する法律さえあるそうだ。この法律は、身代金を支払えないようにすることで、誘拐を抑止しようとするものであるが、実際の効果はあまりないということである。


ロケ地 /  バジリカータ州メルフィ

メルフィはバジリカータとプーリアの州境に位置する。


製作 / 2003 イタリア
監督 / 
ガブリエーレ・サルヴァトレス

キャスト / ミケーレ … ジュゼッペ・クリスティアーノ
フィリッポ(穴の中の少年) … マッティーア・ディ・ピエッロ
ピーノ(ミケーレの父) … ディーノ・アッブレーシャ
セルジョ(ピーノの知人) … ディエゴ・アバタントゥオーノ
原作 / ニコロ・アンマニーティ 『ぼくは怖くない』 早川書房  荒瀬 ゆみこ【訳】
媒体 / DVD

サウンドトラック / I'm Not Scared (アメリカ盤)

Gallery
Official site
Official site (イタリア語)

cover

本文中の画像は掲載の許可を受けております。転載はご遠慮ください。

<Back ▲Top

僕のビアンカ / Bianca

1980年代、ローマ。高校に着任した数学教師ミケーレと彼を取り巻く人々。そして、ミケーレの周りで起こる二つの殺人事件。

数学教師として着任した高校には、ミケーレの納得のいかないことばかり。校長も教師も教員室も。学校だけではない。アパートの周りの住人も、彼の友人のカップルも、一目惚れしたフランス語の教師も。気にしなければ、関わらずに済むことなのに、ミケーレは彼らのために、説教したり、ケンカの仲裁に入ったり。関わらずに済ますなんてことができない、滑稽なほどに潔癖なミケーレ。そのミケーレの周辺で殺人事件が起こる。

ミケーレの潔癖さは、同監督の「ジュリオの当惑」の司祭・ジュリオの生真面目さに通じるところがある。ただし、ミケーレの方は「病的な」潔癖さである。過干渉を嫌い、他人に無関心でいられるのは正常で、ミケーレのように他人と関わっていくのは異常なのか。都市における人間関係のありかたに疑問を感じる。

余談だが、モレッティは無類のチョコレート好きだそうだ。


ロケ地 / ローマ


製作 / 1984 イタリア
監督 / ナンニ・モレッティ

キャスト /  ミケーレ … ナンニ・モレッティ
ビアンカ … ラウラ・モランテ

媒体 / VIDEO

<Back ▲Top

星降る夜のリストランテ / La cena

1990年代、ローマ。あるリストランテの一夜を描いた作品。淡々としているが、実際のローマのリストランテの2時間を切り取ってきたかのようである。

アルトゥーロのリストランテはテーブルが14しかない小さな店。その店を切り盛りしている妻のフローラと店に集まる客たちとの会話をつなぎながらストーリーはすすんでいく。

小さなリストランテながら集まる人々は様々で、常連の老人、学生との不倫する教授、結婚を控えた男女、複数の男性との関係を清算できずにいる”恋多き女”、誕生パーティーに集まる学生、東洋人の観光客などなどまるで社会の縮図とでもいった雰囲気。

それぞれのテーブルでは当然ながらそれぞれの悩みやこれからの計画などの話が始まる。久しぶりに会う親子もいれば、新しい脚本の話で盛り上がる男たちもいる。そういった人々の背景には、自分の気持ちを熱っぽく語る学生にうんざりした教授(ジャンニーニ)がいたり、娘の決意にうろたえる母親(サンドレッリ)がいたり。

この作品のおもしろさのひとつは、あるテーブルにフォーカスしたときに映る周囲のテーブル。さっきまでフォーカスされていたテーブルの人々が見えたり、話す様子が聞こえたり、話しかけてきたりするのである。背景の方が名の知れた名優であることもあり、それはまるで、たとえどんな人でも、自分の人生では自分が主人公(つまりどんな人であろうと他人は脇役)であるということを表しているかのような気さえする。自分には自分の世界があり、それと同じように目の前の人たちにもそれぞれに世界があるのだ。

観客である自分もリストランテの15番目のテーブルに座っているかのような気分になる映画である。

それぞれのテーブルの会話も楽しいが、魅力的なのはやはり女主人フローラと常連客のペズッロ。ペズッロはおせっかいにもよそのテーブルにちょっかいを出すありがちな老人。だが、いちもく置きたくなるような渋い老人なのである。そして笑顔が魅力的で客からも店員からも好かれるフローラ。

しかし、おかしいのはなんといっても教授に詰め寄るチェチリア。不倫相手である教授の妻に不倫関係の告白と離婚を要求する哲学的な手紙を数ページしたためてきて、教授の前で読み上げ始めるのだ! その長く、理屈っぽい手紙を聞かされる教授の苦虫をかみつぶしたような顔。

そして、ラストはファンタジー。いつまでも子どもの心を忘れずに、たまには空を見上げてみよう。

「電話用のコインをくれない?」チェチリアがペズッロに頼むシーンがある。これはジェットーネと呼ばれる溝の入った電話専用のコインのこと。公衆電話はこのジェットーネかテレフォン・カードを使い、普通のコインは使えない。コインの流通量が不足気味のようで、(コインは日本円にするとかなり少額の額面なのだが)小さなBARなどではおつりのなかにジェットーネが混ざっていたりすることもしばしある。

めがねにカメラ、ニンテンドーという絵に描いたような東洋人観光客が登場する。店員の会話では彼らは日本人と思われているが、彼らが話しているのは韓国語。”店の人からは日本人と思われている韓国人観光客”という設定だということだが、細かな設定を知らずにこの作品を観たイタリア人は店の人同様、やはり彼らを日本人と思い込むのではないか?

この作品の撮影に当たっては、実際に全員がそれぞれのテーブルについた形で行われたという。撮影の10週間、毎日同じ物を食べ続けたのだ。背景になるのも楽ではない。


ロケ地 / ローマ(?)

ストーリーはすべてリストランテの中なので、セットによる撮影ではないかと思われる。


製作 / 1998 イタリア・フランス
監督 /
エットレ・スコーラ

キャスト / フローラ … ファニー・アルダン
ペズッロ(常連の老人) … ヴィットリオ・ガスマン
ジュリオ(教授)… 
ジャン・カルロ・ジャンニーニ
チェチリア(教授と不倫している学生)… マリー・ジラン
イザベラ … ステファニア・サンドレッリ
媒体 / VIDEO,DVD

Gallery
Official site
Official site
(イタリア語)

cover

<Back ▲Top

Copyright (c) 1999-2004 Kimichi All Rights Reserved